文具で楽しいひととき
アイデアを作るために使っている文具
ここに「アイデアのつくり方」という本がある。1975年に出版されて以来、版を重ね今も読み継がれている。「アイデアのつくり方」とあるが、アイデアというものは不意に浮かんでくるもので、こうすればアイデアが出る、なんて都合のいいことがあるのだろうか。
そう思われる方も多いのでは。私も当初はそう思っていた。しかも、この本はページ数にしてわずか62ページしかない。
薄い本がいけないというわけでもないのだが、こんなに薄くて、アイデアのつくり方がわかるなんて…。ますます私の疑いは深くなっていた。しかし、いざ読んでみると、中に書いてあることは、とてもシンプルで明快。そして、実際に取り組んでみると、確かにうまくいく。以来、この本は私にとってバイブル的な存在になっている。バイブルと言えば、この本、まさに聖書くらいのサイズをしている。
さて、この本の著者は、ジェームス・W・ヤング氏という方は、広告代理店の J・ウォルター・トンプムソンで、コピーライターとしてスタートし、同社の副社長にまで上りつめた人物。広告と言えば、アイデアとは切ってもきり離せない。その方がみずからの経験を基に生みだしたアイデアのつくり方がこの本の中にまとまっている。
今回は趣向をちょっと変えて、私がこの「アイデアのつくり方」をこんなステーショナリーで実践しています、というのをご紹介してみようと思う。そもそも私にとってアイデアを作るとはどんな時か。それは今皆さんお読みになっているこのコラムがまさにそう。一つの文具をまだ手にしたことのない読者の方々に、どんな表現で説明するのがわかりやすいか、というアイデアを日々練っている。
著者ヤング氏は、商品のコピーということだった。ひとつの商品の本質を短いまとめるというのは、全然レベルは違うけど、根本は同じようなものだと私は都合よく解釈している。
■「アイデアは既存の要素の組み合わせ」
まず、私がこの本を読んで、ハッとしたのが、「アイデアは既存の要素の新しい組み合わせ以外の何ものでもない。」という一文だ。アイデアというと、何か全く新しいものを生み出すそうとしがちだが、実はそうではなかったのだ。すでにあるもの同士を組み合わせてもそれはれっきとした新しいアイデアになる。本書でアイデアを作るのは、こう例えられている。「例えばフォードの車が、製造される方法と全く同じ一定の明確な方法に従うものだ。」その一定の方法のポイントは、
1.資料を集め、
2.心の中でこれらの資料をに手を加える。
3.いったんこの問題を全く放棄してしまう。
4.アイデアの誕生
5.そのアイデアを具体化、展開させる。
というもの。
文字にしてしまうと、なんだこんなことかと思ってしまう程だ。しかし、これを実際にやってみると、より深く感じられるようになる。では、私はそのそれぞれのステップでどんなステーショナリーを使っているか。
1.情報を集める。私の場合はある特定の文具について書くとき、まず、メーカーによるカタログやリリースなどを色々と集める。そうして集めた情報は、いったん私の机の後に置いてあるホワイトボードにどんどん貼り付けていく。こうしてわざわざ貼るのは、机の上などに置くとすぐに行方不明になってしまうため。
そしてその文具、例えばペンであれば、書いたり、持ち歩いたりして生活の中でじゃんじゃん使っていく。ひと通り資料に目を通し文具を使い、その日は終了。翌朝になったらまず、草稿作成に取りかかる。この翌朝というのが私にとって大きなポイント。
別の本の中で、人間の頭の中は夜になればなる程情報がいっぱいになって、こんがらがっていってしまう。それらを睡眠によって、整理してくれるのだということを
読んだことがある。
そして、その整理された翌朝の朝一番の仕事として、草稿を書く。これが本当にうまくいく。これは例えば、取材などに出かけたときも同じ。その取材の日は情報集めるだけにして、その日は終わらせその翌朝に文字にしていく。
この草稿を書く段階が心の中で資料に手を加えている作業を同時に行っているのだと思う。
■「いったん問題を放棄する」
そして次に第3段階の「いったん問題は全く放棄する」というものだが、私は草稿をポスタルコのリーガルエンベロープに入れて、紐をグルグルと巻いてしっかりとフタをして、しまい込んでしまう。このリーガルエンベロープはこうして紐でフタをガッチリと閉じることができるのでハイ、おしまい!とばかりに、区切りが付けやすいのがいい。
そして、これまでの仕事からいったん手をひき、全く別の仕事に取りかかる。
■ なにもしないという作業
この何もしないという段階の効用を私は「アイデアのつくり方」の中で最も強く感じている。自分では、その草稿原稿をしまい込んで物理的には意識の外に置いていても、実は頭の中の片隅には、しっかりと残っていて、別の仕事をしながらも脳は常にそれに関連することを探したり、考えているようである。
これはあくまでも無意識の中で。よくアイデアは、昔から、「三上」で浮かぶと言われている。三上とは、「鞍上、厠上、枕上」。馬の上、トイレ、寝ている時である。現代では、馬は乗らないので、これは、歩いていたり電車や車に乗っている時ということにあたると思う。トイレと寝ている時はそのまま。
私もこの三つに加えてお風呂にはっている時にも新たなアイデアが浮かぶことが実に多い。いずれの場合も共通しているのは、一つ一つの行動に意識を向かわせなくてもいいという点だ。
例えば、散歩の時、人は、さぁ右足を前に出そう次は左足だ。足の出方が低いぞ!もう少し高く!などと誰も考えていない。あくまでも自然に意識することなく体を動かしている。トイレもお風呂時も、寝ている時は無論そうだ。
ではその時に頭の中は、何をしているかというと、体を動かす事に意識を使わなくていいので、頭の中にすでににある「何か」を無意識で考えているのだろう。
それがまさにいったん意識の外に置いていた私の場合で言えば、「リーガルエンベロープにしまい込んでいた草稿」。しまい込んでいたはずの草稿について不意にいいアイデアが浮かぶことが多い。
この「アイデアのつくり方」を読む前はここの不意にアイデアが浮かぶということだけを取り出して私はアイデアというものは不意にしかやってこないとそう思いこんでいた。しかし、違ったのだ。実は、その前に色々な下ごしらえがあってこそだったのだ。
その不意を逃さないために私はポスト・イットスタイルノートをラミーピコや鉛筆とともにポケットに必ず入れている。ちなみに寝間着に着替えても必ずポケットにはペンとメモをしのばせている。
散歩しているといいアイデアが浮かぶのは、体が揺れてそれによって頭の中の余計なものがふり落とされ、大切なものだけが残ってアイデアになるというイメージが私にはある。
お風呂では汚れを流しているので、余計なものが流されて大切なものが残る。トイレはいわずもがな。。出すことで、大切な何かが残って見つかると、こう考えると、実に合点がいく。
そのアイデアを原稿に加え、それをさらにリーガルエンベロープに入れ再び別な仕事をするというのを2、3回繰り返して、コラムも完成させている。それがステップ4.5を行っているということになるのだと思う。
■「自分は時間とともに他人に」
この仕事の流れを確立してから、一つの仕事を決して1日で仕上げるということがなくなった。最低でも1週間ぐらいかけて取り組んでいく。梅棹忠夫氏の「知的生産の技術」という本の中にこういう一文がある。「『自分』というものは時間とともにたちまち『他人』になってしまうものである。」
同じ人間でも日々色々な情報を取り入れていくので、それに伴い他人になってしまうのだろう。
それをうまく使って「明日の別の私」に原稿をチェックしてもらうというのを繰り返すということを行っている。アイデアというものは机の上ではなく、一定の準備をした上で、全く別なことをして手に入れる。
これは私の仕事を大きく変えてくれたまさに素晴らしいアイデアである。
本「アイデアのつくり方」
本「知的生産の技術 」
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