文具で楽しいひととき
CATEGORY / 時計式ToDo管理ふせん
人は、同じ失敗を繰り返すとだんだんと学習して、もう同じことはしなくなるものだ。大体のことは 私も学習してきたつもりだが、こと時間に関しては、40過ぎになった今もまだまだで、同じ失敗を繰り返してしまう。
どういうことかと言うと、朝にその日やるべきタスクをリストップするときに必ずと言っていいほど、たくさんあげてしまう。朝は、なんだか自分という人間には無限のパワーがみなぎっているように感じられ、なんだってできそうな気分になってしまう。
朝にパワーがみなぎり、やる気まんまんなのは決して悪いことではない。むしろ、いいことだ。
私が自分の中で問題視しているのは、一日という時間の見積もりを誤って到底終わらないタスクをリストアップしてしまうという点。それも、たまになら、しかたがないと納得がいく。しかし、前日に、自分でリストアップしたタスクの半分も終わらせることができなかったというのに、翌朝にはそんなことケロッと忘れて、なんでもできる人間に生まれ変わって、また、たくさんのタスクをせっせとリストアップしている。
当然、その日に仕上げることができない。それなのに、その翌日にはまたなんでもできる人間が出現するという繰り返し。そこには、「学習」という二文字は全然存在しない。ほとほと自分が嫌になってしまう。
では、いったい、なぜこうした失敗を毎日毎日繰り返してしまうのだろうか。これは、時間というものが実態がなかなかつかみどころがないからではないかと思う。そもそも時間は、目に見えない。
1日というものを目の当たりにする朝は、それがどれくらい長いのか、はたまた短いのかいまいちピンとこない。ピンとこないものだから、たくさんあると早合点してしまうのではないか。このたくさん時間があるとついつい余裕をかましてしまうというのは、確かにあると思う。一日のスタートの朝もそうだし、一年のはじまりである1月や2月なんかでもそうだ。
まだ始まったばかりとついついキリギリス状態になってしまう。そして、夕方や、12月頃といった後半になると終わりが見えてきてようやく慌てて色々とやり始める。
それなら、サッサとスタートの段階から取り組んでおけばよいのに、と思っても、時すでに遅し。そして、予定していたことが出来ずじまいとなる。
人は、その時間の終わりが明確になってはじめて慌てだすようだ。それなら、朝の段階でその日の終わりを明確に意識すればいい。思い返してみると、終わりを明確に意識したという事は私にもこれまであった。それはたとえばその日の夜に大切なデートが控えている時。その日は、朝から俄然馬力をかけて仕事を仕上げることができた。これも終わりを意識した効果かもしれない。
つまり、私が考えるに1日なり、1年という時間をまんべんなく活用していくには、その区切りとしての終わりを明確に意識するというのが大切なんだと思う。「時計式ToDo管理ふせん」は、一日を2つの円の面積で明確に意識できる。
私には、そもそもこの2つの円の時間しかないのだと意識せざるを得ない。しかも、ひとつひとつのタスクを時計式に書き込む時にはその所要時間をしっかりと見積もらなければならない。
そうすると、2つの円にははじめから、つまり朝からその日に出来ることしか書き込めない。ひとつひとつのタスクを書き込んでみるとよくわかるが、当初リストアップしたことが全部、書き込めないことがある。
朝から一日という時間は思っているほど長くないぞと 思い知らされることになる。すると、午前中から、結構切迫感を伴って仕事に取り組める。午前中から適度なパワー配分ができるので、午後特に夕方に、大慌てすることもない。時計式のメリットのひとつとして、この朝から一日の終わりを明確に意識できるということがある。
*「時計式ToDo管理ふせん」
*「時計式ToDo管理ふせん」とは?