文具で楽しいひととき
BLACKWING
602
見るからに消し心地が良さそうな平らな消しゴムが付いているBLACKWING。現在は定期的に限定モデルを出しており、私もついつい買い集めてしまっている。そんな中、限定モデルではない、定番の「BLACKWING 602」というモデルが私の中で大きな存在感を示しはじめた。
そのきっかけは、「ザ・ペンシル・パーフェクト」という本を読んだからだ。この本は、ニューヨークの鉛筆専門店「cw pencil enterprise」のオーナー、キャロライン・ウィーバーさんが書いたものだ。2019年末に日本語翻訳版が出版された。そのタイトルのとおり世界各国の鉛筆ブランドについて、それはそれは詳細に解説されている。それぞれの創業者がどのような経緯で鉛筆作りをはじめて、様々な困難を乗り越えながら鉛筆と向き合ってきたかが、まるでその時代に生きて見てきたかのようにリアルに描かれている。
日本において、鉛筆というと国産のものを除けば、どちらかと言うとドイツの鉛筆ブランドに人気がある。それ以外の国の鉛筆事情についてはあまり語られてこなかったように思う。本書はその理解のすき間を埋めてくれる。
著者のキャロライン・ウィーヴァーさん
腕には鉛筆のタトゥーを入れている
数々の鉛筆が紹介されている中で私の鉛筆心に確かな爪痕を残したのが「BLACKWING 602」だった。今回は本書を引用しつつ「BLACKWING 602」についてじっくりと紹介していきたいと思う。
■ エバーハード・ファーバー
BLACKWINGを作り出したのは、エバーハード・ファーバー。1930年代のことである。「ファーバー」ということで、お気づきになると思うが、ドイツのA.W.ファーバー社、のちのファーバー・カステル社を所有するファーバー家の一人だ。創業者カスパー・ファーバーの4世代目にあたる。A.W.ファーバー社は19世紀半ば、すでにドイツにおいて鉛筆作りで確固たる地位を確立していた。市場拡大を狙うA.W.ファーバー社は、その頃まだ鉛筆産業がはじまったばかりだったアメリカ市場に注目した。そして、その役割を任されたのが、エバーハード・ファーバーだった。当初は、ドイツのA.W.ファーバー社の鉛筆をアメリカに輸入して販売することがメインだった。アメリカでの事業を進めていく中で、新たな可能性が見えてきた。アメリカフロリダで鉛筆の木軸材であるシダーが豊富に生育していていたのだ。そこで、芯はドイツから輸入して木軸は現地で調達することを思いつく。わざわざドイツから全てを輸入しなくても現地で調達する方が経済的だからだ。逆にフロリダのシダーをドイツに輸出することもしていたという。そして、アメリカに鉛筆工場を建て、鉛筆製造に乗り出す。
エバーハード・ファーバーの死後、息子たちがその鉛筆事業を引き継いでいく。ジョン・エバーハード・ファーバー2世、ルター・W・ファーバーの2人だ。この2人が大きな決断を下すことになる。それは、本家ドイツのファーバー社から独立してアメリカの鉛筆事業を進めるというものだった。ドイツ本国のA.W.ファーバー社とは微妙な関係になってしまったそうだ。
新たにエバーハード・ファーバー ペンシルカンパニーという会社を立ち上げ、独自に本格的な鉛筆づくりをはじめ、「モンゴル482」といったモデルなど様々な鉛筆を作っていった。その中に「ヴァンダイク」というモデルがあった。最大の特徴は消しゴムを固定する「フェルール」と呼ばれるパーツが平たい形状をしていたことだ。当時、消しゴム付き鉛筆はその形状は円柱状のものだったこともあり、注目を集めた。しかも、この消しゴムは完全に固定されておらず交換可能でもあった。これがBLACKWING鉛筆へとつながっていくようだ。
1934年にアメリカ大恐慌のさなか、「BLACKWING 602」が発売される。当時の一般的な鉛筆の3倍近い価格にも関わらず、そのなめらかな書き味に着実に注目を集めファンを増やしていった。著名人の愛用者も多く、ウォルト・ディズニーとその部下のアニメーターをはじめ、作家のジョン・スタインベック、さらにはクインシー・ジョーンズなどなどそうそうたる顔ぶれが並ぶ。
20世紀半ば、エバーハード・ファーバー ペンシルカンパニー社は鉛筆作りの全盛期を迎える。しかしながら、その後鉛筆産業の再編に同社も巻き込まれていく。最終的には、1987年に本家A.W.ファーバー社に買収をされていったという。買収後もしばらくは「BLACKWING 602」の販売も続けられていたが、1988年に在庫がなくなると販売は終了された。
こうした経緯がBLACKWINGにあったのだ。かいつまんで紹介したが、本書では実に躍動感あふれる文章で、そのストーリーがより詳しく書かれている。個人的には、A.W.ファーバー社とエバーハード・ファーバー社という同じ「ファーバー」の名が付く会社名があったことくらいの認識しかなかった。今回本書を読んでその2社のいきさつが、なるほどそういう関係だったのか、と理解することができた。
■ PALOMINO社が復刻
「BLACKWING 602」が販売されなくなり、熱狂的なファンの間では失望が広がった。オリジナルの「BLACKWING 602」は、かなり高額な価格で取引されるようになっていった。そうした中、PALOMINOブランドの鉛筆が「BLACKWING 602」と品質的に近いとファンの間で話題になる。PALOMINOはカルシダー(カルフォルニア・シダー・プロダクツカンパニー)が展開するブランド。カルシダー社は鉛筆の木軸板材を世界各国の鉛筆メーカーに供給している企業だ。「BLACKWING 602」復刻の要望が高まる中、上質なカルフォルニア産シダーと日本の高品質の芯を組み合わせて「BLACKWING 602」は2010年復刻されていった。
特長的な平らなフェルール、ピンク色の消しゴムなど、ほぼ当時に近いデザインで再現されている。そして、個人的に注目したのが、ボディに刻印された「HALF THE PRESSURE, TWICE THE SPEED 」という言葉。訳すと「力は半分、スピードは2倍」、つまり半分の筆圧で2倍の滑らかさといったところか。この刻印は、エバーハード・ファーバー ペンシルカンパニー社の「BLACKWING 602」の時からあったものだ。当時の芯には、相当量の蝋が含まれていて黒鉛が多く粘土は少なかったという。ちなみに、現在のPALOMINOが次々に出している限定版BLACKWINGには、この刻印はない。PALOMINOの中でも、あくまでも「BLACKWING 602」だけにある。このことを知ると、「BLACKWING 602」がキラキラと私の中で輝きだしていった。
今回、コラムの草稿を「BLACKWING 602」で書いてみた。なるほど程よい滑らかさがある。BLACKWINGには、いわゆるHBやBといった硬度表記はない。私の印象では、Bくらいな感じがする。ザッザッと紙と芯が擦れていく感触、そして音は「書いている」と心から実感させてくれる。
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これまで私はBLACKWINGの限定版を色々と買い集めてきたが、これからは「BLACKWING 602」に軸足を置こうと決めた。私は文具を選ぶ時に、そのブランドなり会社の本質的なところがタップリと味わえるものを使いたいと常々考えている。「BLACKWING 602」は、まさにそれが存分に味わえる鉛筆である。
そして、いつの日かオリジナルのエバーハード・ファーバーの「BLACKWING 602」を所有してみたいと夢見ている。
こちらが、当時のオリジナルであるエバーハード・ファーバーのBLACKWING 602。日本代理店の方に見せていただいた。
キャロラインさんにサインを頂いた。もちろん鉛筆で。
参考文献「ザ・ペンシル・パーフェクト」
PALOMINO「BLACKWING 602」
BLACKWING 日本公式サイト
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