文具で楽しいひととき
±0(プラスマイナスゼロ)
電子計算機
ここ5年ほどずっと使っていたアマダナの電卓が突如として私の机の上から姿を消した。そりゃもうほんとに、突然にという感じで。
私の机の上では、これまでもいろんなものが姿を消したことがあった。ラミー2000のボールペン、同じくラミーのスイフトなどなど。いずれも日々よく使っていたものだ。しかし、数日後には何もなかったかのように机の下やかばんの底から、はたまたジャケットのポケットからひょっこりと出てくることがあった。
今回の電卓もきっと数日過ぎればまたケロリとした顔で姿を現すだろう、そう思っていた。しかし、今回ばかりは一週間経っても二週間経っても一向に出てくる気配がない。その間、計算が必要な時は仕方がないので、 iPod の電卓機能を使ってその場をしのいでいた。
これでも確かに計算はできるけど、やはり専用の電卓と違い、どうしても使いづらい。ここはスパッと潔くあきらめて電卓を新調するべきなのだろうか。まだ、そうと決めたわけではないのに、私の手は、まるで何かに操られるようにキーボードで「電卓」と打ち込んで検索をはじめていた。
私の心の中には、なにか欲しいモノをみるとすぐに「買っちゃえ!買っちゃえ!」と私の背中を勢いよく押してくる、「本能」というもう一人の私がいる。きっとまた、彼の仕業だ。
一方では、心の中に、さらにもう一人の「理性」という私がいて、彼の方は、余分なものを買わずにアマダナが出てくるのを待とう、と語りかけてくる。そんな中、検索結果を見てみると、私の持っていた(まずい、もう過去形になっている!)アマダナにはブラウンやベージュ、ピンクなどのカラーが増えている。
こうした色だと机の上がパッと明るくなって楽しくなりそうだ。お!こっちにはちょっと大きいが、鮮やかなレッドボディまであるではないか。さらに、「デザイン電卓」というキーワードで検索をかけてみると、往年のBraun社の電卓も出てきた。もし、これが今も売っていたなら絶対に買ったのになぁ~。。
この「品切れ」、「今はもう買えない」というのがくせ者。人は、最初は買う気がなくても品切れや今は買えないという状況になるとなぜか、無性に買いたくなってしまうもの。このBraunの電卓を見たのが悪かった。
私の中の「本能」と「理性」のせめぎ合いがしだいに「本能」の方が優勢になってきた。再び「デザイン電卓」の検索リストに戻ってみると「プラスマイナスゼロ」の電卓も出てきた。
なるほど、この選択肢もあったか。これは4,000円+Taxとお手軽じゃないか。しかも、こっちはコンパクトボディでレッドタイプまである。とまぁ、ちょっと見るつもりが、すっかり買う気満々モードになり、その勢いで購入ボタンをポチッと押してしまった。
もし、アマダナの電卓がひょっこりと出て来たら、黒と赤ボディで気分にあわせて使えばいいや。万年筆だって何本も持っているけど、ちゃんと使い分けているわけだし。電卓にだってそういう使い方があってもいいじゃないか。
などと、「本能」が「理性」の肩をトントンとタタキながらやさしく説得していた。そして、二人で仲良く新しい電卓の到着を待った。早速翌日にプラスマイナスゼロの電卓がヤマト宅急便のいつもの配達員さんの手で運ばれて私の家にやってきた。
箱を開けて中を見てみると思っていたよりも赤は落ち着いた色合いだった。
■ ほどよいサイズ
40過ぎの私には、むしろちょうどいい。左手に取ってみると、私の手にことのほかピッタリと収まった。
電卓の左側からは親指、右側からは、中指、薬指そして小指が出てくるのだが、それぞれの指のちょうど第一関節だけが出てくる格好となる。その第一関節にピッタリと電卓の両サイドが収まって握り心地がすこぶる良い。ボディの両サイドは綺麗な半円状になっていて、第一関節がピッタリとフィットする。ちなみに、この時中指は何をしているかというと、他の指と同様しっかりと働いている。
裏面の斜めになっている部分に添える役目を担っていたのだ。そう、この電卓は、液晶が起き上がっている。
■ 液晶部分の起き上がり具合が自然
このように液晶画面が起き上がっていることで数字が見えやすくなるのだ。「なるのだ。」などと大げさに言ってはみたが、こうしたスタイルは、ことさらに驚く事でもない。他でもよく見かけるものだ。
しかし、その起き上がり具合がとても自然。自然なのだが、とても特徴的。
本来はフラットだったものをそぉっと優しく折り曲げたかのようなフォルムをしている。ボタンはアマダナと違いシンプルな構成。
数字以外には、「+」、「-」、「×」、「÷」、「=」、「%」の他、「-M」、「+M」、「-TAX」、「+TAX」くらい。
ちょっと特殊なところでは今や懐かしい「√」があるくらい。私の仕事では、全く使わないものだ。試しに「√2」をはじきだして、「ヒトヨヒトヨニヒトミゴロ」であることを数十年ぶりに確認してみたりした。
ボタンの押し心地はごくごく普通。アマダナは四角いボタンだったが、これは丸で少しばかり小さい印象。
そのボタンをたたいて計算をしてみると、パコパコと軽快な音を立てるこの電卓をいろいろな角度から見て、とてもシンプルなのだが、ただシンプルなだけではなく何か特徴的なものをすごく感じるようになってきた。
■ つなぎ目が見えない
しかし、その「何か」がなかなかわからなかった。しばらく使っていて、一つを気づいたのは、「かたまり感がすごくある」ということだった。これは他の電卓では、ちょっと感じることがないものだ。何ゆえ、私はそう思ったのだろうか。一つにボディのつなぎめがほとんど見えないということがあると思う。
ボディのサイドには繋ぎ目があるが、それは1mm もないくらいで段差もほとんどない。
よくよく見てみると、一つ一つのボタンの隙間もすごく狭い。
電卓全体からは一体感というものをすごく感じる。この電卓はプロダクトデザイナーの深澤直人氏によるもの。試しに同氏デザインのラミーノトを横に置いてみるとなるほど、という感じですごく同じものを感じた。
やはり、ラミーノトからも、「かたまり感」や「一体感」というものをひしひしと感じられる。
それぞれのボディの中には、電卓の機構部品やボールペンのリフィルなどが入っているのだが、端からは、まるでプラスチックのひと塊であるかのように見えてしまう。
ボディには違う材質のものは基本使われておらず、すべて同じマットな樹脂で作られていることも影響しているのだろう。電卓もラミーノトも、どこから見ても「かたまり感」に満ち溢れている。
では、この「かたまり感」、私たちが日々使う上で何がどういいのだろうか。例えば、電卓を机の上に置いた時の安定感がとてもいい。見ていて安心感すら感じられる。もちろん見てるだけではなく使う上でもそれは同じように安心感に通じる。
考えみれば、自然界にあるものは木々や石などは当たり前だが、すべて中身がぎっしりと詰まっている塊のものばかり。一方で、工業的に作られたものの多くは端から見て、ここはフタで、そこを開けると、きっと中には色々なものが入っているのだろう、というのが、外観からすぐわかってしまう。
「かたまり感」というものに、心地よさを覚えるのは、そこに自然界のものを重ねあわせて見ているからなのかもしれない。
そうそう、例の、アマダナの電卓は今も姿を表さないままである。
±0(プラスマイナスゼロ) 電子計算機
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