文具で楽しいひととき
美篶堂
本の特装
最近は本を裁断してスキャナーで読み込んでデジタル化してしまう「自炊」というのが巷では行われている。
本は基本的に書かれてる内容、つまりコンテンツが中心的な位置づけ。そのコンテンツだけを取り出してデジタル化してしまっている訳だ。たまっていく一方の本の整理やたくさんの本を持ち歩かなくてもすむなど、メリットはある。
しかし、その世界観を醸し出す物理的な本という形もとても重要な役割を果たしていると、私は思っている。それは、カバーのデザインであったり、手にした時の本の重さ、表紙の手触り、場合によっては嗅覚など五感を総動員する読書も味わい深くて楽しいものだ。その五感をより楽しめるように本の「特装」というのをやってみた。「特装」とは特別な装丁という意味だ。
それを手がけているのが美篶堂。文具好きの方々の間では、上質なノートやメモブロックなどで御馴染みのブランドだ。美篶堂は、たとえば会社の100年史の豪華な装丁などを手掛けている専門の職人集団。こうした本の特装は企業や出版社が行うもので一個人が手を出せるものではないと思いこんでいた。
しかし、実際は一個人でもそれこそ一冊からオーダーすることができるものだった。そこで私もいっちょやってみることにした。
■ 特装の注文をする
まずは、どんな特装本にするのかを美篶堂さんと相談するところからはじめる。東京神保町にある美篶堂さんのショップを訪ねた。これまでに美篶堂さんが手がけてこられた特装本のサンプルを色々見せて頂き、自分の中のイメージをだんだんと絞りこんでいく。
今回、私が特装本にすることにしたのは、自分で書いた「文具の流儀」。
これまで書いてきた本の中で一番ページ数が多く、きっと特装にしたら、格好よくなるだろうと考えたからだ。最終的に、特装プランはこんな感じでまとまった。
ソフトカバーだったものを重厚なハードカバーにする。その表紙には本のタイトルを窓枠のように入れてもらう。表紙の色は「文具の流儀」と同じ紺色。実は「文具の流儀」のカバーデザインは、美篶堂さんの「みすずノート マーブル染め」の写真が使われている。
だから、特装本でもその「みすずノート」と同じ仕様にしてみることにした。調子に乗って小口のマーブルまで付けてもらうことにした。
ただ小口マーブルは作業的に難しく、紙によってはマーブルのインクがうまくのらないこともあるという。一冊テストしてみて、大丈夫そうだったらやりましょうということにこちらはなった。基本仕様はこれで決定。
全て手作業の職人仕事になるので、完成までは3ヶ月くらいはかかるという。特装本を正式注文して帰路についた。フルハルターで万年筆を注文した時もそうだったが、自分だけのものを注文するというのはとてもうれしい。
完成までの時間がかかればかかるほど楽しみが増してくる。物を買うということの行き着く先は、ひょっとするとこの特注ということになるのかもしれない。ものに自分を合わせるのではなく、自分にものを合わせることができる。きっと大量生産以前は、モノを買うというものの多くはこうした特注だったのだろう。
私は大量生産、大量消費時代に生まれ育ったので、この特注というのが何だかお祭りみたいでうれしくてしょうがない。
■ 完成!
2ヶ月半が経った頃だろうか、美篶堂さんから「土橋様、特注本出来上がりました」という件名のメールがやってきた。懸案だったマーブルもキレイに仕上がっているという。早速届けてもらうてはずをとった。小さな段ボールで私の生まれ変わった「本」が届けられた。箱から出したらまた箱みたいなものが出て来た。
本はブックケースに入っていた。ブックケースなんて最後に手にしたのはいつの頃だろうかと、懐かしく思いながら手にする。ズシリとした重みがある。よくよくこのブックケースを見ると、ちょっと違うところがある。取り出し口のところだけ丸くなっているのだ。
本の背が丸みを帯びているので、それに合わせているのだ。そのブックケースに本が収まった姿は、何とも言えぬ一体感に満ちあふれている。そのスキ間には空気も遠慮して出てきてしまいそうなそんな一体感だ。
ブックケースの口を少しばかり下にして揺すって、中の本を滑り出させてみる。
しかし、なかなか本は出てきてくれない。やはり、この一体感は並ではない。もう少し大きく揺すってみると、ようやく本が1cm ほど滑り出してきた。
小口には美しいマーブルも見える。
本を引き出してご対面。
本にも顔というものがある。これは実にいい顔立ちをしている。表紙にはもともとカバーにあったタイトルが切り抜いて取り付けられている。その枠がほんの少しだけ凹んでいるのでタイトルが立体的に見える。
何も飛び出しているだけが立体ではないのだ。小口には一糸乱れぬ美しいマーブルが彩りを添えている。
その小口に親指をあててパラパラとページをめくると、マーブルの濃さが少し淡くなったり微妙に変化する。読書をしていてもきっとこの美しいマーブルについつい目が行ってしまうことだろう。
■ 本の特装を味わう
机の上に本を置いてハードカバーを開いてみる。
まるで扉でも開けるときのように気持ちよくパタリと開いていく。
見返しやそれに続く本文ページは、まるで忠実な犬のようにじっとそこにとどまったまま。ページの見開き性は格段に良くなっている。実は、この製本はもともとの本を裁断して一枚一枚を束ねて背に糊を付けて行っているという。
だから、こんなに見開き性がいいのだ。中程のページを開くと、もはや手でページを押さえる必要などなくなる。
カバーはハードだけど中身は柔軟性に満ちている。これまで何冊かの本を書かせていただいてきたが、今回のハードカバーの特装本を手にした時ほど自分が本を書いたと実感できることはなかった。
それほどの重みがこの本にはある。
そもそもこの「特装」というのは個人が気に入った本を大切に読み続けるために行っていたものだという。その昔、西洋では本は大変貴重なものだったので、まずは、とても簡易な製本で出版して、1人でも多くの人に手に渡るようにしていた。そして、読者側がこれはいい本なので大切にとっておこうとなると製本職人に頼んで特装本にしていたという。
自炊の全く逆をいく本を特別に仕立てるという「特装」、一生をかけて大切に読み続けたい本でやってみるのもいいのではないかと思う。
■ 記事作成後記
本をブックケースに入れるとき、スゥーッと吸い込まれていくように収まっていきます。
このスムースには仕掛けがありました。
ブックケースの内側には下側だけですが、ガイドレールみたいなものが1本付いているのです。このガイドレールはスムースな出し入れだけでなくケースに入れた時、本文ページを下から支える役割を果たしてくれるということもあるようです。本のことをとことん考えている心配りを感じます。
美篶堂 公式サイト
本 「文具の流儀」
私の本、「文具の流儀」では、美篶堂さんの「みすずノート マーブル染め」について詳しく紹介しています。
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