文具で楽しいひととき
月光荘
スケッチブック ウス点 2F
子供の時と大人になってからでは、色々なものの感じ方が違ってくる。
たとえば、味覚。子供の頃は甘ったるいジュースが心から大好きでいくらでも飲むことができた。一方、苦いもの、特に長ネギなどは大の苦手で、料理の中にすっかりその姿を変えて、紛れ込んでいても、瞬時にそれを見つけて、取り除くという技を子供ながらに身に付けていた。それほど苦手だった。
それが今となっては甘いジュースは体がほとんど受け付けなくなり、ネギに至っては大好物。おそばにネギがないと、そばの魅力が半減してしまうと感じるようにまでなってしまった。変われば変わるものだ。年月を経るごとに自分自身が変化し、好きなものや求めるものがだんだんと変化していくということなのだろう。
■ ノートへの向き合い方は変わる
ノートについてもそうだ。紙の上に文字を書いていくという行為自体は、小学生時代から今も変わらない。しかし、ノートに求めるもの、つまりは、ノートに書くという位置付けというものが徐々に変わってきたように思う。
特に、私の場合ここ数年大きく変わってきた。それは先日、このコラムでもご紹介した月光荘のスケッチブック ウス点を使うようになって自分でも次第に意識するようになってきた。このコラムでは、いつも一つの文具をいろいろな角度から掘り下げてご紹介をしているが、今回は「私の今のノートのつき合い方」について書いてみたいと思う。
最近思うのだけど、こんな文具があるよ、という情報もそれはそれで必要だけれども、それをどうやって使っていくのかについても同じくらい大切なんだと思う。と言っても、これからご紹介することは、あくまでも私の個人のノートのつき合い方に過ぎないのだけれど…。
■ ノートは考えるスペースになった
ノートとのつき合い方で最近一番変わったのは、「ノートが私にとって考えるスペース」になったということ。これまでの人生を振り返ってみると、物事をキレイに整理したり、忘れないように書き留めるというのがノートの主な位置付けだった。
もちろんそうした使い方も全くなくなった訳ではなく、今もやってはいる。しかし、考えるためという用途がぐんぐんと最近増えてきてるのを感じる。その証拠に最近、ノートを読み返すということがめっきり少なくなった。
これは私の中で「書き残す」よりも「書く」ということそのものに比重が置かれてきているからなのだろう。書き残したり、キレイにまとめるということは、ノートでも行うがそうしたことは最終的にパソコンに移行していくことが多い。
だから、そもそも初めからパソコンを開いてそこで物事を整理することもある。一方、「考える」という時に私はパソコンを開くことはまずない。その代わりにノート(今は月光荘 スケッチブック ウス点)を開く。
そこに頭の中で浮かんだアイデアともなっていない「かけら」を書いていく。手にペンをもって紙の上に文字を書いていく。そして、その文字を目で見る。といった具合に五感の中で主に触覚と視覚を使っている。
こうすると何だかいつもよりも脳が、「さぁ考えるぞ!」というモードになってくるの感じる。
■ パソコンは読むモードになる
パソコンでこれをやっても、脳は考えるモードというよりも、「さぁ読むぞ」というモードになってしまう。やはり、それは画一的なフォントの文字だからなのだろうか。その画一的なフォントは見た目にも完成されていて、もはや私自身が入り込める余地はないようにも感じてしまう。つまり、客観的な存在になってしまっているということ。私の書く文字は、とっても汚い。
しかし、それは、他の誰でもない自分自身が書いた主観的な存在である。と同時に、全く完成されていないスキ間だらけのもので、どこにでも入り込めてしまう。
■ アイデアのかけらを塊に
それが脳を考えるモードにしてくれるのだと思う。ひとつの「かけら」を書くと、それに呼ばれて次の「かけら」を思いつき、小さい「かけら」だったものがだんだんと一つの大きな塊へと変化していく。同じことは頭の中でもできるように思う。しかし、私にはあまり向いていない。
一つの「かけら」や二つの「かけら」くらいまでならどうにか頭の中で意識出来ても、それ以上となるともうキャパオーバーで収拾がつかなくなる。それが紙に書くことでそれが上手くいくような気がする。
そう考えてみると、私にとってノートに書くということは、脳の考えるスペースを一旦、紙に移して、そこで考えを巡らせているのかもしれない。
あらゆる仕事の成果は「アウトプット」と言える。その中で「考える」という作業はアウトプットのための重要な工程のひとつ。それも初期段階の工程だ。私が今愛用しているノート、月光荘のスケッチブックウス点は「クロッキー帳」とも呼ばれている。
■ アイデアの速写に
絵を描く人にとって、この「クロッキー帳」はそもそも「速写」のためのもので最終的な絵を作っていくための下描きやラフスケッチという用途もあるらしい。私にとってアウトプットを前提にした考えるという事と、絵のラフスケッチは一つの物事を完成させるための初期の考えをいろいろめぐらせるという点で共通点があるように思う。
月光荘のスケッチブックが、今の私に妙にしっくりくるのは、そうした道具がそもそも担っている、初期の考えをめぐらせるという共通点があるからなのかもしれない。人が何かを考える、または考えをを巡らせるという時には直感的に操れる紙とノートの方が、やっぱり頼もしい存在であると思う。
月光荘 スケッチブック2F ウス点
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