■ 「文字という立体物を作る黒鉛芯」 e+m ワークマン 3,500円+Tax
□私は文字を書くというのは、
文字という立体物を作っていると考えている。
とりわけ鉛筆やシャープペンといった
黒鉛芯で書く時は
その感覚が強い。
紙は一見したところでは平面だが、
ミクロの世界では凸凹している。
その凸凹の上に黒鉛芯で書くと、
黒鉛が凸凹によって削られ
その粒が文字の筆跡となる。
ボールペンのインクは紙に染みこんでいくが
黒鉛芯は
紙の上にのっかっている状態だ。
とってもミクロな世界での話だが、
黒鉛芯の文字は立体であると私は常々感じている。
では、
立体であるとなにがいいのか?
それは
立体の方が脳への刺激が大きくなる
というのがある。
パソコンのモニターに表示されているだけの文字より
立体的な方が断然伝わってくるものが違う。
それは
特に「考える」時に効果を発揮する。
私は「考える」時
黒鉛芯系のペンを手にとり
脳の中に生まれたイメージや言葉を
次々に紙の上に書き出していく。
それを見て、刺激を受けて
さらなるイメージや言葉が脳の中にひらめき
それらも書いていく。
この繰り返しを行う。
この「考える」→「書く」→「刺激を受けてさらに考える」
というサイクルを回す時に
脳にビンビンと刺激を与えてくれる方がいい。
その理由で立体感のある文字が描ける
黒鉛芯系のペンを手にしている。
その黒鉛芯系のペンの
新たな仲間として
e+m ワークマン2.0mmを買った。
□e+mは、ドイツのペンブランドで
主にウッド軸のペンを製造している。
どれも手のぬくもりを感じさせる
暖かみがある。
e+mと初めて出会ったのは
ドイツの文具展示会「ペーパーワールド」でのことだった。
以来、
ブースを訪れるたび
毎回快く取材に対応して頂いている。
せわしない展示会場の中にあっても
いつもゆっくりとお話ししてくださり
e+mのブースだけは時間の流れ方が違うのを
いつも感じていた。
そんなこともあって
e+mのペンを手にすると
じんわりと体の内側に暖かさを覚える。
□ボディは直径にして1.5cmもある太軸。
製材所で作られたばかりというくらいに
潔いほどのまっすぐボディ。
ただ、よくよくボディに
指先を這わせてみると
ペン先側だけ
ほんの少しだけ細く仕上げられている。
全長は、12cm弱のショートボディ。
この太く短いボディを手の中に迎入れてみると
意外なほどにしっくりと収まる。
書いた印象は
「手で書いている」というのをすごく感じる。
そもそも全てのペンは
手で書いている訳だが、
この感覚は他とはちょっと違う。
たとえるなら
子供の頃にろう石や石ころで
地面にらくがきをしていた
あの頃の感覚に近い。
□芯はノックボタンをカチカチとノックするたび
少しずつ出てくるタイプ。
芯はシャープペンの0.5mmや0.7mmより
2倍くらい太いはずなのに
不思議とそんな印象があまりない。
ボディがあまりに太いので
2mm芯がむしろ細く見えるほどだ。
芯はやや硬質なタッチで
HBくらいだろうか。
筆跡も濃すぎることなく
ごくごく普通に書いていける。
□書いていて、
もう一つ感じることがあった。
厳密に言うと、
「感じる」というよりも
「感じなかった」と言うべきかも知れない。
木目のナチュラルボディは
書いている時に
手の肌の色とほぼ同化して
ペンの存在がスゥッと消えていくような感覚があった。
これはいいと思った。
私は最近、理想の道具は
使っている時に
使っていることすら感じさせないものが
最良だと考えている。
ペンを持って書く時
ペンに意識を向かわせずに
意識の全ては「書くこと」
しいては「考える」ことだけに集中させたい。
もはや自分がペンで書いていることすら
忘れさせてくれるくらいに
自然さに溢れるペンがいいのだ。
その意味で
このペンはいい具合に
存在を消してくれる。
私にとっての
脳に直結したペンとして使っていこうと思う。
■記事作成後記
替え芯は、ボディの全長とほぼ同じくくらいの
タップリとした長さがあります。
どうやら芯はボディに一本ずつしか
入らないようです。
交換方法は、ペン先から入れるようです。
この点の使い心地は
あまり自然にとはいかないようです。。
(2014年11月4日作成)
□ e+m ワークマンは、こちらで販売されています。
□ 5.5mm芯タイプ
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