2017.10.10(391)

「書くという行為は奥が深い」

いつもはひとつの文房具を取り上げ、その文具を手にした時にどんな使い心地であるか、たとえば、ペンであれば書いた時に心の中にどんな印象が生まれるのかといったこと、これを「文具心理描写」と私は勝手に呼んでいるのだが、そうしたことを私なりにお伝えしている。今回は文具そのものの話しではなく、文具にまつわる「行為」に光をあててみた。これまで390回くらいのコラムを書いてきたが、たまにはこうしたちょっと変わったものが混ざっていてもいいのではないかと思った。新たな文具ばかりに注目するのではなく、今手元にある文具を見直し、じっくりと向き合うというのも大切なことだと最近感じている。

その行為とはペンを持って「書く」というものだ。私自身これまでの人生で数え切れないくらい行ってきている。もはや呼吸をするくらいに自然な行為とも言える。しかし、それは何のため?と目的や意味を改めて問われると、ハタと動きをとめて考えこんでしまう。一見身近な「書く」ということは、実はとても奥の深いものがある。

■ 記憶に残す

書くという行為

「書く」ことには色んな意味があるが、まず「記憶に残せる」ということからあげてみたい。たとえば、何かやるべきことを思いついたとする。それをメモ帳に書きとめる。たったそれだけのことで、私の記憶の引き出しにしっかりと残る。頭にひらめいたままにすると、まず間違いなく数分後にはアレなんだったけ?と忘れてしまう。

なぜ書くと記憶に残るのか?ひとつに体のあちこちを動かすというのがあるように思う。ペンを持つ時の指、それに繋がる腕そして肩、さらには書いたものを見ようと頭や首も少し傾ける。いくつもの上半身を動かす必要がある。全身運動とまではいかなくとも、大いに体を動かしている。そのことにより、ひとつの経験になって記憶に残っているのではないか。

それから、書いたものには必ず「場所」が存在するというのもある。たとえばメモした「すぐログ」の大体何ページ目くらいに書いたという具合に。この「場所」と「情報」が組み合わされると頭の中に刻みこまれていくように思う。思い返してみると、昔の思い出というのは、大体において場所と出来事がセットになっている。場所を作り出せるというのも、書くことの一つの意味なのだろう。

■ 忘れる

今、言ったことをと全く逆のことになるが、書くことは忘れることとも密接に結びついている。あらゆることを覚えておくなんて、そもそも不可能だ。人はそのために書いておく。つまり「記録」だ。手帳やメモに覚えておいてもらい、自分は忘れても大丈夫なようにしておく。書くことが記憶することと、忘れることの両方を担ってくれている訳だ。この全く正反対であることが、書くことをより複雑なものにしているように思う。

■ 考える

書くという行為

ここ数年、私はこの考えるために書くことが増えている。仕事でもプライベートのことでも何かを考える時は、愛用のスケッチブックを開いてとにかく頭の中にあるものをどんどん書き出していく。頭の中ではまだあやふやなものを紙の上に書き出すことで、文字にしたり形にしたりして、少しずつ形を与えて整えていく。頭の中だけで考えていると、すぐに頭のキャパはいっぱいになって窮屈さを感じる。それらを書きだして新たな考えが生まれるスペースを作っていく。イメージとしては、頭には水が張ってあって、水面下には色々なものが混沌としている。それが何かの拍子にポンと水面上に浮かびあがってくる。それを放っておくと水面上のスペースはどんどん埋め尽くされていっぱいになる。書くことで水面上にゆったりとしたスペースを作る、そんなイメージだ。

■ 未来を作る

書くという行為

夢を書いたら、それが実現するという大きなことではなく(もちろん、その効果は私も実感しています)、ここでお話ししたいのはもう少し身近なこと。たとえば、だれかと話していて、参考になることを教えてもらうというのは、よくあることだ。あの本面白かったとか、あのお店にはこだわりのものがたくさん品揃えされているなど。そうしたことを聞いたらすぐにメモしておくようにしている。書いておくことで情報を素通りさせずに、しっかりと受けとめることができる。後日改めてその本を買って読むことができたり、その店に実際に足を運んたりできる。つまり、書くことで次の行動に確実につながり、その積み重ねにより未来が作りだされていくのだ。

あと、手帳に書くとそれを実行しようという気分になるというのもある。なんとなく、やろうと頭で考えているだけだと、まぁいいかとなりがちだが、手帳には人との約束事がいくつも並んでいるので、その中に書き込むことで必然的にやろうというモードになっていく。そういう意味で手帳とは「約束」の道具であると最近感じている。人との約束、自分との約束を守るための道具なんだと。

書くという行為



この他、書くには「伝える」という役割もあるなど、まだまだたくさんのことを担っている。こうしてみていくと、書くというのは本当に奥が深いなぁとつくづく思う。振り返ってみると、以前は「書く」ということについて、ことさら深く考えることはなかった。こうして考えるようになったきっかけは、おそらくパソコンやスマホの出現があるように思う。デジタルが日々の生活で当たり前の存在となり、書く機会が少しずつ減っていった。それによって、かえって書くことがクローズアップされ、デジタルではやりづらいことをを「書く」ことに求めはじめた、ということかもしれない。

デジタルとの比較で言えば、書くは実際に書いてみないと、そこにどんな文字や線が生まれるかがわからないという点もある。自分の字なので、いつも同じと考えがちだが、その日の調子や気分で微妙に違う。キーボードで打ち出された常に一定なものにはない面白さがそこにはある。

書くという行為

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